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ゆくためのケアに思ふこと

老健や在宅診療所のケアをしている中で
ご高齢の方の足に長年向き合ってきました。

 

特に最近は90〜100歳前後の方を担当することが増えてきました。

その方々のお御足を見つめながら思うことは
長年この足で歩んでこられたんだなぁと
尊敬と、勝手にも恩恵を感じながら触れさせていただいてます。

 

しかし、100歳ともなると
車椅子で過ごされている方もそうでない方も
足の先まで血色が良く柔らかい方というのはそうそうおられません。
冬場ともなれば著明な血行不良を起こしています。

 

 

人間というのは心臓の機能を大事にするために、その分末梢までの血流は行き届きづらいのかな?と思い

 

であれば

逆に末梢から血流を促す事は心臓の負担になるのでは?

なんて考えたこともあります。

 

しかし、それも違うなと感じてます。

 

毛細血管の密集している末梢を
本当に本当に優しくアプローチするだけで
あとはご自分の力で心臓に戻っていく。

穏やかな還流を促す事は、より安全に人間の恒常性を保つことになり得るとも考えます。

 


フットケアをした夜は、ぐっすり眠れた。
足や身体が軽くなった。
全く伸びなかった爪が伸びるようになった。
という声も。

 

しかし中には

すぐに元(血色が悪い足)に戻ってしまって
こんなによくしてもらってるのに本当に申し訳ない。と、謝られる方もいます。

 

そんなそんな。。。

 

たとえすぐに元の状態に戻ったとしても
病気が進行していたとしても

 

隅々まで血がめぐる瞬間があるのとないのとでは、違ってくると思うのです。

 

ケアは元気になるため、健康に近づくため、
良くなるため、と思いがちですが
晩節においては、少し意味合いが変わってくると、私は感じてます。

 

 

血の道は
生きゆくためのケアでもあり
死にゆくためのケアでもある とは

 

師範からいただいた言葉。

 

 

闘病していた義父が時折私を呼んでは
爪のケアや足浴、背中のケアを欲したこと。

 

それによって、わだかまりがありつつも
このケア法があったおかげで義父と繋がる事ができたという感謝の気持ちが
義父が他界したときに湧き出てきたこと。

 

それを師範に伝えた時に教えていただいた
私にとって大切な気づきの言葉でもあります。

 


あれから15年間。

 

ご高齢の方や

余命幾ばくもない方に接するとき
ともすると、目的を見失いそうになる度に

その言葉を想いながら

 

かといって、余計な肩ひじは張らずして
私は普段と変わらないことを
自分の呼吸をととのえながらするだけ
と思いながらケアをします。

 

死にゆくケア とは
一見ネガティブな言葉にみえて
実はそうではありません。

 

例えば、血液が巡ることで腸が活性化し
排泄を促す事があります。
そのお話はまた後日することにして

 

いつかその時がきたら
少しでも身を軽く穏やかに旅立つことができますように。

 

そう思えるからこそ

目の前にある今をケアという形で

大事に向き合える気がしています。