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奈良の振り返り

8月末、奈良で開催された2日間の看護研究学会に参加してきた。
学会に赴くのは本当に久しぶりのこと。

 

学会前日は誕生日。せっかくなので、くるみの木でランチし、念願だった中宮寺の半跏思惟像を心ゆくまで奉拝し、夜は玄で蕎麦懐石を堪能した。

明くる日の早朝は、石上神宮で祝詞をよみ上げる朝拝神事に参加。

こう書いてみると改めて、なんとも贅沢な時間にてありがたく、備忘録として記しておく。

 

さて、学会だが、私が所属している日本フットケア協会が、統合医療を牽引している川島朗先生の講演の協賛をしていることと、医療や看護現場で、爪のケアやフットケア等の領域の研究はどこまで進んでいるのかを知りたかったタイミングも合間って参加した次第。

 

様々な看護分野での発表がある中、いくつかの交流集会に参加。
臨床に携わる看護師さんのみならず、研究現場や教育機関に関わる方々と意見交換や質問ができ、とても有意義な2日間だった。

 

20年以上前はまだ、フットケア、ハンドケア、爪のケアをはじめ、タッチングケアというワードを臨床で見かける事はあまりなかった気がする。

 

爪のケアや末梢のケアの大切さを感覚として捉えていたその頃、代替医療の興味もあって、手当たり次第探し続けながら血の道療法に出会った。
そこから、治療や技術より大切な事があることを学び、今に至る。

 

今回の学会では、ケアという概念での治療効果や、患者さんに及ぼす影響、学生指導に至るまで研究し実践されている演題をいくつか拝見、拝聴できた。

 

その中で私が気になったことは

「触れる」ということに関して興味がある看護師さん達は多く、しかし、その方法は?導入は?学生指導は?などと、戸惑っている方が多いということ。

 

それから、看護師という職種は、誰よりも人の近く寄り添い、パーソナルスペースに入りやすく、触れる事を許されている。
それが権利としてあるのに、十分に活かしきれていない現場は多いということ。

 

その背景にはとにかく忙しく、そこに時間をかけられないとか
コロナをきっかけに人と接触する機会を失い、触れ方に戸惑いがある学生さんが多いらしいこととか
などなど、まだまだ問題が沢山あり、思うように広まっていないと、講談した先生方が話してくれた。

 

しかし少しずつ、教育の現場でハンドケアを導入手段として、タッチングケアの大切さを指導している先生や機関は増えてきているらしい。

 

今回、白癬爪に関するフットケア療法を確立し研究をしている先生と出会う事ができた。

 

旭労災病院のフットケアスペシャリストでもある大西みさ先生は、白癬爪を撲滅したい一心で、施術と研究を続けてこられ、その熱意と行動力に今回1番の感銘を受けた。

 

その中で、マッサージ法を私の師範でもある室谷良子式、血の道療法の技術を取り入れていて
この手技はやはり治療という現場で有効であると証明してくれたようで、とても嬉しいことだった。

 

患者様を笑顔に健やかに、孤独を感じさせないようにと、日々追求し研究している看護師や教育現場に携わる方に沢山出会い、本当に素晴らしいことで、励みにもなった。

 

看護や介護に携わる方々は、そもそも奉仕の精神にあふれ、自分よりも相手を大事にするやさしい心の持ち主である方が多い。

 

癒してあげたい、治してあげたいという気持ちが大きいのだ。

 

殊に現場では、自分の身体は後回しにして、仕事をこなすことに専念し、身体を酷使している人達は多い。

 

それ故、人に施し、癒しを与える立場である方々の身体が疲弊していることが残念でならない。

 

相手に対して敬意をはらい、神聖な身体を触るという意識はもちろん大事だが、その前に、自分が柔らかくしなやかであることに目をを向けると、自ずと最高のタッチングができるもの。と私は思っている。

 

その練習は日々の中で高めていけるはず。

 

例えば、患者さんに触れる前に、触れ方に戸惑う前に、先ずは自分に触れあげるといいのでは。

 

医療とは、代替医療とは、統合医療とは。

臨床で働いていた時からずっと考えてきたこと。

今でこそ色んな考えが受け入れられている分、情報過多からか、本当の事が相変わらず見えずらい。

 

私は、西洋医学を否定するつもりはなく、むしろ肯定している。

本当に必要な人には必要なものだからだ。

 

不必要な人にむやみに薬やワクチンを処方し、依存社会を作ってしまったこの長年の風潮に危機感があるだけだ。

 

ところで写真の半跏思惟像。

(中宮寺ホームページから拝借)

個人的に特に好きな角度は左顔から。

 

元々は色彩が施されていたらしく、今ではその色も剥がれ、線香等の煙に燻されながら、経年劣化とは言い難いくらいの、奇跡的な漆黒の色となっている。

その美しさは、鉄で言う所の黒サビにも似た強さを感じた。

 

時を経てより一層、静かで穏やかに佇んでいるように見える。

 

人々を救済する方法を考え思索にふける様子を表してるとか。

 

愛に溢れたこのお顔からは、時を超えて、思索というよりもっと違う次元からの清らかで深いものを感じ、上手く言葉にできない想いを抱きながら、気づいたら1時間ほど見惚れていた。

今だに目に焼きついている。

 

学会後、何故かザワザワとした思いが残ったまま、帰路に着きながらふとあのお顔が浮かんだ。

広く深い愛で物事を受け止められたら、あのようなお顔の境地に辿り着けるのではないかなと。

きっとそれはまだまだのこと。

 

近いうちまた足浴講座

ができればと思っている。

 

今、私ができること、したいことは何か。

 

足浴という手段を導入として、その奥にある大切なことを伝えたい。

 

依存でなく自立。

 

そして、相手より自分。

 

タッチングケアに携わる方々や、自分のために知りたいという方に届きますように。