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触れるという意識

週一の在宅診療所での訪問ケアのお話。

 

終末期の方のケアは

身体にできるだけ負担がかからないような

リラクゼーションが中心になります。

 

ご本人さまからも喜ばれますが

何よりご家族さまが喜んでくださいます。

 

恐らく、「気持ちいい」というお顔が見られるところが嬉しく、安堵されるようです。

 

そして大抵のご家族は

ケアの最中にご本人にこう確認をします。

 

「気持ちいいかい?気持ちいいだろう?」って。

 

ご本人から、「うん、気持ちいいよ」と返答があるまで、何度も何度も聞かれる方もいます。

 

きっと、苦しく辛いお顔より、気持ちがいいという癒やされたお顔がただだた見たいのかな、と感じてます。

 

「足がつらい」とあらば、ご家族は

それはそれは心を込めてマッサージをします。

しかしそれはご本人にはとても強い刺激。

かえって嫌がられてしまい

もうそうなったらどうしたらよいかわからなくなる様子。

 

そんな時に本当にやさしい血の道療法ベースのケアを目の当たりにされると

皆さん「こんなやさしくていいのか!?」と驚かれます。

 

そうなんです

やさしくていいんです。

むしろやさしくないと、です。

 

身体のどの部分でもいいので

やさしく長くゆっくりしたストロークで

擦る、撫でるでいいのです。

 

それをして差し上げるのは本当は私でなく

ご家族が一番なのでは、と思い

最近はご家族にケア方法をお伝えしたり

一緒にやりましょう!と促したりすることが多くなりました。

 

とにかく「何かしてあげたい!」というお気持ちが本当に強く、それがひしひしと伝わるからです。

 

でも一番感じているのは

技術や方法、手順よりも

触れ方が如何に大事か。

ということ。

 

触る(さわる)ではなく

触れる(ふれる)という意識。

 

先ずはそれだけでもいいのかと。

 

手をやさしく添えるように握るだけでもいいのです。

 

でもこれって

終末期の方々へのアプローチだけでなく

誰にでも、いついかなる時でも本当は大切な事だと思ってなりません。

 

あなたは大事な誰かに

そして誰よりも大事な自分に

触れていますか?

 

触れる

撫でる

擦る

ただ、手を当てる

 

自分の手から出る熱が、思いのほか温かく

擦る圧もスピードも軽くゆっくりであればある程

不思議とカラダの奥の方に振動が伝わります。

「触れる」という意識はやさしさをもたらし

そして何より「触れる」という対象は

特別で大事な存在なのでは。

 

何気ない普段の生活の中から

先ずは自分を愛でることから

そして大事な人へ

 

そんな意識でいられたら

きっとより深い感覚に気づき

自分自身や大切な人との関係性が変わってくるかもしれません。

 

写真の絵は京セラ美術館のボテロ展での1枚。

「ベラスケスにならって」

 

胸とみぞおちに手を当てているみたいで

自分を大事にしている感じがなんとも好きなのです。

あと、フォルムも。

 

そういえば、私も眠りにつくときによくこのポーズをしています。

その他、みぞおちと丹田とか

丹田と恥骨あたりとか

手を当てているだけで落ち着くポイントってありますよね。

 

私だけかな?

 

よろしかったらお試しあれ。